学年での教育観を話す余白

 

学年の教育観?というものの共通点とかすり合わせとかをする余白がないんだよなぁ。

 

それがあるだけでだいぶ一年の見通しがたてられたり、原点がある分、ブレずに指導や支援が行えるので、本当はそうした時間が欲しい。

 

それを言い出せる立場や力があるわけではないし、どちらかというと怪訝な顔をされそうなので言い出しませんが。

 

届きました&積みました

 

 

 

 

この時期はとにかく読みたい本が続々出版されるし、改めて読みたい本もあって、心理的積読(一度読んだ本も入る)が増えていきます。

 

来週はいよいよ最終週なので、やらなくちゃいけないことも山積み。それなのに花粉症&偏頭痛のため、パーフォーマンスも落ちてしまっています。

 

あと一週間頑張ろう。

調子が悪い

今日朝起きたら右耳がボワっとして、聞こえが悪いなぁと感じていました。

 

その後も中々治らず、お昼くるいになって気にならなくなりました。

 

治ったのかな?と思えるようになりましたが、その後頭も痛くなりました。

 

家に帰ってきて薬を飲んで早く寝よう。

納得してもらう労力に疲れる

新しいことや世間では珍しいことをすると、その説明責任を求められることが多いように感じます。

 

世の中で現在の多数派の行動は特に説明をしなくても、「今まで通りたから」「例年と同じだから」という意識でいるので、そのままスルーされることが多いですが、まだまだ世間的に一般的でない実践や取り組みをするとき、どうしてもそれをする理由や目的を話さなくてはいけません。

 

そうじゃないと納得しない保護者や同僚、管理職がいるからです。

 

もちろん説明することは大切だし、必要なことです。

 

しかし…たまにそうした行動を面倒くさいと思う自分がいるのも事実です。

 

今まで通り、自分自身が受けてきたような画一的であるあるの授業をしていくと特に何も言われずに時間が進んでいき、物言いが出てくる確率も下がります。

 

そうしたことから、信念や理屈で考えて、子どものことを考えて行う実践もたまに辛くなってくることがあり、最近そうした気持ちになる出来事がありました。

 

(クレームとかではありません)

 

残り数日の登校日なのですが、どうしたもんかなぁ。

私のコレクション

今週のお題「わたしのコレクション」

 

初めて、お題について書いてみることに。

 

コレクションというほど全然ですが、書籍は本棚に収まらないほどありますね。

 

そのせいで配偶者からは、「収まらないなら買うな」というお達しもきています。

 

他にもスタバのタンブラーもほどほどにあります。

 

海外に行ったときには必ずその国のタンブラーは買っていますし、国内旅行などするときも高い確率でその都市のタンブラーを買っています。