学習パラダイムと教授パラダイム

今日はこちらの本を再読していました。

 

一回目に読んだときにはスルー?してしまったかもしれませんか、今回再読していて一番刺さったのが、溝上慎一先生の「『子ども主体』の授業が進むと、教師の役割は全く変わる!?」です。

 

溝上先生といえば、昔読んでいた「学びと成長の講話シリーズ」です。

 

 

 

今回読んだ「授業力&学級経営力」の記事で紹介されているところによると、J・タグが「学習パラダイムは活動の場を拡げ、教授パラダイムを越えたところに私たちを移動させるのである」と述べられているとして、学習パラダイムと教授パラダイムは相反している考えではなく、教授パラダイムを拡張していくところに学習パラダイムがあるという考えが記されています。

 

簡単に言うと、学習パラダイムの中に教授パラダイムが存在していることです。

 

この2つはどうしても相反しているというか、対立構造に陥りやすいことがあります。

 

苫野一徳先生が様々な書籍でも述べられている「問い方のマジック」ですね。

 

 

学習パラダイムと教授パラダイムが地続きとなっているところに新しい発見がありました。

 

一見相反しているものでも、どちらが絶対的に正しいものはないことを改めて実感しました。