敏感な学習評価

今日は、「第10章 多様な学びを評価する」を読みました。

 

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本章では、ここまで社会科ワークショップについて、授業の様子や探究のサイクルのまわし方などをみてきたが、ここでついに1番気になっている「学習評価」についてである。

 

A君は〇〇のことを調べ、B君は△△のことを調べ、C君が…と、児童によって学習している内容が違い、まとめ方もそれぞれの児童によって違う中、どのように評価をしていくのか。

 

それについての著者たちのアンサーが、本章では3人の教師(架空)の話し合いを通して描かれていました。

 

話し合いを一言でまとめると、「ペーパーテストがあってもいいけど、ペーパーテストのない図工や体育はどのように評価しているの?」ということになるのかなと思いました。

 

もちろん評価するためにポートフォリオの活用、持続的な振り返り、学習や発表の様子の記録、そして授業中のカンファレンス…など評価するための材料はもちろん提示されています。

 

本章の最後は、「教師も子どもも、評価を本来の形に取り戻す必要があります」(p.259)と結ばれています。

 

私自身、この言葉に大変共感しますし、実際に「そこまでできていない自分」をもどかしく思います。

 

ここまできて「著者に聞きたいな〜」と思うのは、これらの評価についてどのように保護者や地域に説明していくのかということです。 

 

これまで、学習方法について以前の章でも保護者や地域の協力について挙げられており、そこへのアプローチについても触れられていました。

 

保護者の方は、やはりそれまで受けてこられた「教育」を想像して、子どもをみていくことが多いと思います。

 

そうしたときに、明らかに保護者が受けてきた教育の違いについて、そして1番気にするであろう評価について、どのように説明し語るのか気になりました。

 

もちろん、学級通信はもちろん、授業参観や懇談会、二者面談などを通じてお伝えしていくと思いますが、私自身の力量ではそれだけでは保護者の心に届くことができないように感じました。

 

「子どもが納得して評価について受け入れ、これから頑張ろうとしている姿を見せれば大丈夫」という考えももちろんあると思いますが…。

 

これは「だから評価はペーパーテストがいい」とか「挑戦するのをやめる」とかというわけではありません。

 

ただ現在の私自身のスキルや気持ちでは、想像するに納得していただける自信がないというわけです。

 

保護者にとっても教師にとっても、そして子どもにとっても気になり、敏感になる「学習評価」だからこそ、難しいものがありますね。

 

今回はいつも以上にまとまらない話になってしまいました。